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お知らせ

8/10 冷や汗。

嘉村礒多と嘉村磯多が同一人物であることは、NDLの処理や磯多という作家がほかにいないことから間違いないと思われるが、間違いやすい「菊池」と「菊地」をめぐっては冷や汗をかいた。
「菊池大麓」という人がいて、よく「菊地大麓」と誤記される。名前はかなりユニークでほかに例を見ない。結構、権威ある図書館でも間違いが少なくない。しかし、戦前戦後を一括して検索すると現存の人で「菊地大麓」という建築家がいることがわかった。
一括して修正するとえらいことになるところだった。

菊池大麓
生誕 1855年3月17日
死没 1917年8月19日
職業 数学者、政治家
菊池 大麓(きくち だいろく、安政2年1月29日(1855年3月17日) - 大正6年(1917年)8月19日)は、明治・大正期の数学者、政治家である。
ウィキペディア(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E6%B1%A0%E5%A4%A7%E9%BA%93

目録ならば、案外気がつかずにパスすることもあるが、DBとなるとこの一字の違いで引っかからない。〈菊池大麓=菊地大麓〉としておけばいいのだが、今度は、建築士の菊地大麓さんを巻き添えにしてしまう。


7/24 「暴力団」考。

何年か前、あるメーリングリストで、「暴力団」という言葉の初出についての質問がロンドン大学の司書の方からあった。

何でも、学生が日本の暴力団についてレポートを書いている。
日本の「暴力団」は、戦前からの香具師や博徒などのいわゆる伝統的やくざに、戦後生まれの愚連隊を総称して言うようになった言葉でその後「暴力団対策本部」「暴力団対策法」のように警察や法律用語にまでなったというのが、その学生の仮説のようだった。
それで、「暴力団」という言葉は、戦後のいつごろから使われるようになったのかという質問だった。

それで、当データベースで検索してみるとその当時でも、大正期に用例が見られた。あの『蟹工船』の中にも用例があるらしい。

それを、お知らせしたら大変喜ばれたが、学生は仮説がひっくり返るし、レポートの提出期限は一週間後ということで頭を抱えているということだった。

そのときは、「暴力団」ばかりに目がいって、「愚連隊」が戦後派であることは疑いもしなかったが、最近、検索してみて「愚連隊」も戦前からある用語であることを知った。

# 愚連隊の仙太
著者 北林透馬
刊行年月日 昭和10年3月
巻号 5-3
掲載 オール讀物

# 横浜愚連隊回想記
著者 安田樹四郎
刊行年月日 昭和14年8月
巻号 21―8
掲載 改造

筆者の北林透馬、安田樹四郎は横浜に関係が深いようなので、「愚連隊」は、横浜生まれの言葉かもしれない。

なお、ロンドン大学の学生の「仮説」とまったく同じ組み立ての記述が『警察白書』(平成元年)にある。
http://www.npa.go.jp/hakusyo/h01/h010101.html
『警察白書』によれば「愚連隊とは、終戦直後から繁華街等を中心に当てもなくうろつき、ゆすり・たかり、窃盗等の違法行為を行っていた不良青少年の集団をいい、これらの集団の中核は戦地から復員してきた若者たちであり、警察の実務用語では「青少年不良団」と呼ばれていた。金になるものなら何にでも手を出すという現在の暴力団の風潮の源は、この時期に発生した愚連隊の活動等に求められるであろう」という。

【追記】「Wikipedia」の愚連隊の記述も、戦後派説である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9A%E9%80%A3%E9%9A%8A

7/20 市川房江ってだれ?

当データベースを、著者「市川房枝」で検索すると、大正11年から623件ヒットする。
念のため「市川房江」で検索したら、1件ヒットした。

婦選運動をめぐる回顧を語る(座談会)
著者 市川房江
刊行年月日 1955年11月
巻号 3ノ11
掲載 婦人と年少者

これは、内容からも「市川房枝」に間違いないと思われるので後日確認してみようと思う。このデータの出典は「NDL雑誌記事索引」である。NDLの雑誌記事索引では、以下のように表示された。

雑誌記事索引 1-1(1件)
1. 婦選運動をめぐる回顧を語る(座談会) / 市川 房江 他
婦人と年少者. 3(11) [1955.11]

このデータは前述のとおりCiNiiにも取込まれているので、「房枝」と修正してしまうと、CiNiiと連携が取れなくなる。
どうしたらいいか。とりあえず「市川房江(市川房枝)」と応急処置をしておこう。(こうしておけば、市川房枝でもヒットする)

7/17 訂正の難しさ。

何でも正しければいいかというと・・・。

山口県出身で嘉村礒多という作家がいる。

山口県の図書館にお邪魔したとき、では「嘉村礒多」で検索してみろと、「勝負」を挑まれた。
結果どうも少ない。あわてて確認すると、「嘉村磯多」で検索していたのである。「礒多」でやり直すと相当数ヒットしたので胸をなでおろしたのであるが、しかしこれは、間違いの「磯多」というデータが少なからずあるということである。しかも、NDL提供分にも少なからずある。急いで修正した。

NDLのOPACで検索してみると「礒多」でも「磯多」でも同じだけヒットするのでデータは直さず、「磯多=礒多」で処理しているようだ。(ちなみに書籍にも「磯多」がある)

修正してから気がついたのであるが、こちらのデータを正しく修正してしまうと同じNDLデータを持つCiNiiにいけなくなる。そういえば、以前にもご指摘に基づいて、NDLデータを修正したことがある。
CiNiiでは、「磯多」は9件、「礒多」は、76件が別々に検索される。
ちなみに当データベースでは、213件。ただし重複がある。


【追伸】

「佐田岬の一本釣りと岬(ハナ)あじ・岬(ハナ)さばで全国展開する三崎の加工事業--愛知県三崎漁協の加工事業の現状」

という記事を、利用者の方のご指摘で「愛知県→愛媛県」にに訂正した。(「11/26 三崎漁港―愛知と愛媛」参照)
やはりCiNiiには、いけなくなっている。愛知県をスペースに置き換えると表示される。



7/10 ということではないだろうか?

「日本語雑誌記事索引データベース地図」の変化について

日本語雑誌の記事索引については、国立国会図書館がそのスタートの時点である昭和23年からその作成を始め、日外アソシエーツを版元として出版してきました。

やがて国会図書館は、そのデータを、データベースとしてWEB上で無償提供を開始しましたが、日外アソシエーツは、そのデータに独自のデータを加えるなどして、「マガジンプラス」名で商用データベースとしてサービスを開始しました。国会図書館のデータに独自データを付加したところから、「国会図書館をしのぐ日本最大規模」のデータベースとして、他の追随を許さず独走態勢が十数年の長きにわたって続きました。

しかし、ここ一、二年の間に、「データベース地図」は大きく様変わりを見せました。

その兆しは、2002年に大宅文庫が「WEBOyabunko」としてその所蔵する雑誌記事のデータベースを公開したあたりから見え始めていました。しかし、この時点では、両者は「学術雑誌」と「一般誌・娯楽誌」と収録範囲の重複は無く、共存関係にあったので「データベース地図」の変化の始まりとは意識されませんでした。事実、二つのデータベースはともに仲良く、紀伊国屋書店を発売元として提供されていました。

2005年プランゲ文庫の雑誌記事索引が「占領期新聞・雑誌情報データベース」(20世紀メディア研究所)として完成しました。検索期間は占領下の数年間に過ぎませんが、データ数は約200万件となってこの期間に限定されるもののその密度はほぼ完璧で、敗戦直後から国会図書館の採録開始の1948年までを補完するものになっています。

2008年になって、国会図書館が採録しない、戦前期および地方誌を採録範囲とする「雑誌記事索引集成データベース」(皓星社)がサービスを開始しました。このデータベースは、国会図書館の採録範囲が、昭和23年以降であることを補完する意味で企画され十年近くの準備を経て完成したものです。
国立国会図書館は、敗戦で時代区分しそれ以前を価値が無いとして採録範囲からはずしたわけではなく、「雑誌記事索引」の採録範囲が戦後に限られるのは、たまたま、国会図書館のスタートが戦後間もない昭和23年だったからで、それ以前の遡及入力をしていないという理由に過ぎないわけです。
したがって雑誌記事のデータベースが戦後で十分とするのは何の根拠も無く、雑誌というメディアが登場した明治から現在までを検索範囲とするデータベースの登場は待望のものでした。(自画自賛)

ついで、2009年の4月にいたって、国立情報学研究所のデータベースである「CiNii」が、大幅なリーニューアルを経て公開されました。このデータベースは、Oyabunko、占領期新聞・雑誌情報データベースを除く、データベースがすべて、国立国会図書館のデータを取りこんでいるのと例外ではなく、国会図書館のデータをも取込みながら独自に学術雑誌を補完して、1200万件という最大のデータ件数を所持し今後も「膨張」を続けていくと予想されます。

このように、本年4月になって、日本語雑誌のデータベースは、それぞれ特徴を持ったいくつかのデータベースが出揃ったことになります。

1)雑誌記事索引(国立国会図書館)。*印のデータベースに取込まれている。無償。
2)マガジンプラス*(日外アソシエーツ)。戦後期を対象。老舗。
3)WEB Oyabunko(財団法人 大宅文庫)。一般誌・娯楽誌が対象。
4)占領期新聞・雑誌情報データベース(20世紀メディア研究所)。占領期。無償。
5)雑誌記事索引集成データベース*(皓星社)。戦前期、地方誌をも対象。
6)CiNii*(国立情報学研究所)。戦後期を対象にした最大規模。無償。

それぞれのデータベースは「限界」を抱えますが、利用者はその目的によって公的機関の提供する無償のものに、それぞれ特徴を持つ商用データベースを組み合わせることが可能となり、利用の幅が大幅に広がったといえます。
また限られた予算の中では、最もコストパフォーマンスがいい組み合わせを検討することが必要になるでしょう。

ということではないだろうか?