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お知らせ

7/20 市川房江ってだれ?

当データベースを、著者「市川房枝」で検索すると、大正11年から623件ヒットする。
念のため「市川房江」で検索したら、1件ヒットした。

婦選運動をめぐる回顧を語る(座談会)
著者 市川房江
刊行年月日 1955年11月
巻号 3ノ11
掲載 婦人と年少者

これは、内容からも「市川房枝」に間違いないと思われるので後日確認してみようと思う。このデータの出典は「NDL雑誌記事索引」である。NDLの雑誌記事索引では、以下のように表示された。

雑誌記事索引 1-1(1件)
1. 婦選運動をめぐる回顧を語る(座談会) / 市川 房江 他
婦人と年少者. 3(11) [1955.11]

このデータは前述のとおりCiNiiにも取込まれているので、「房枝」と修正してしまうと、CiNiiと連携が取れなくなる。
どうしたらいいか。とりあえず「市川房江(市川房枝)」と応急処置をしておこう。(こうしておけば、市川房枝でもヒットする)

7/17 訂正の難しさ。

何でも正しければいいかというと・・・。

山口県出身で嘉村礒多という作家がいる。

山口県の図書館にお邪魔したとき、では「嘉村礒多」で検索してみろと、「勝負」を挑まれた。
結果どうも少ない。あわてて確認すると、「嘉村磯多」で検索していたのである。「礒多」でやり直すと相当数ヒットしたので胸をなでおろしたのであるが、しかしこれは、間違いの「磯多」というデータが少なからずあるということである。しかも、NDL提供分にも少なからずある。急いで修正した。

NDLのOPACで検索してみると「礒多」でも「磯多」でも同じだけヒットするのでデータは直さず、「磯多=礒多」で処理しているようだ。(ちなみに書籍にも「磯多」がある)

修正してから気がついたのであるが、こちらのデータを正しく修正してしまうと同じNDLデータを持つCiNiiにいけなくなる。そういえば、以前にもご指摘に基づいて、NDLデータを修正したことがある。
CiNiiでは、「磯多」は9件、「礒多」は、76件が別々に検索される。
ちなみに当データベースでは、213件。ただし重複がある。


【追伸】

「佐田岬の一本釣りと岬(ハナ)あじ・岬(ハナ)さばで全国展開する三崎の加工事業--愛知県三崎漁協の加工事業の現状」

という記事を、利用者の方のご指摘で「愛知県→愛媛県」にに訂正した。(「11/26 三崎漁港―愛知と愛媛」参照)
やはりCiNiiには、いけなくなっている。愛知県をスペースに置き換えると表示される。



7/10 ということではないだろうか?

「日本語雑誌記事索引データベース地図」の変化について

日本語雑誌の記事索引については、国立国会図書館がそのスタートの時点である昭和23年からその作成を始め、日外アソシエーツを版元として出版してきました。

やがて国会図書館は、そのデータを、データベースとしてWEB上で無償提供を開始しましたが、日外アソシエーツは、そのデータに独自のデータを加えるなどして、「マガジンプラス」名で商用データベースとしてサービスを開始しました。国会図書館のデータに独自データを付加したところから、「国会図書館をしのぐ日本最大規模」のデータベースとして、他の追随を許さず独走態勢が十数年の長きにわたって続きました。

しかし、ここ一、二年の間に、「データベース地図」は大きく様変わりを見せました。

その兆しは、2002年に大宅文庫が「WEBOyabunko」としてその所蔵する雑誌記事のデータベースを公開したあたりから見え始めていました。しかし、この時点では、両者は「学術雑誌」と「一般誌・娯楽誌」と収録範囲の重複は無く、共存関係にあったので「データベース地図」の変化の始まりとは意識されませんでした。事実、二つのデータベースはともに仲良く、紀伊国屋書店を発売元として提供されていました。

2005年プランゲ文庫の雑誌記事索引が「占領期新聞・雑誌情報データベース」(20世紀メディア研究所)として完成しました。検索期間は占領下の数年間に過ぎませんが、データ数は約200万件となってこの期間に限定されるもののその密度はほぼ完璧で、敗戦直後から国会図書館の採録開始の1948年までを補完するものになっています。

2008年になって、国会図書館が採録しない、戦前期および地方誌を採録範囲とする「雑誌記事索引集成データベース」(皓星社)がサービスを開始しました。このデータベースは、国会図書館の採録範囲が、昭和23年以降であることを補完する意味で企画され十年近くの準備を経て完成したものです。
国立国会図書館は、敗戦で時代区分しそれ以前を価値が無いとして採録範囲からはずしたわけではなく、「雑誌記事索引」の採録範囲が戦後に限られるのは、たまたま、国会図書館のスタートが戦後間もない昭和23年だったからで、それ以前の遡及入力をしていないという理由に過ぎないわけです。
したがって雑誌記事のデータベースが戦後で十分とするのは何の根拠も無く、雑誌というメディアが登場した明治から現在までを検索範囲とするデータベースの登場は待望のものでした。(自画自賛)

ついで、2009年の4月にいたって、国立情報学研究所のデータベースである「CiNii」が、大幅なリーニューアルを経て公開されました。このデータベースは、Oyabunko、占領期新聞・雑誌情報データベースを除く、データベースがすべて、国立国会図書館のデータを取りこんでいるのと例外ではなく、国会図書館のデータをも取込みながら独自に学術雑誌を補完して、1200万件という最大のデータ件数を所持し今後も「膨張」を続けていくと予想されます。

このように、本年4月になって、日本語雑誌のデータベースは、それぞれ特徴を持ったいくつかのデータベースが出揃ったことになります。

1)雑誌記事索引(国立国会図書館)。*印のデータベースに取込まれている。無償。
2)マガジンプラス*(日外アソシエーツ)。戦後期を対象。老舗。
3)WEB Oyabunko(財団法人 大宅文庫)。一般誌・娯楽誌が対象。
4)占領期新聞・雑誌情報データベース(20世紀メディア研究所)。占領期。無償。
5)雑誌記事索引集成データベース*(皓星社)。戦前期、地方誌をも対象。
6)CiNii*(国立情報学研究所)。戦後期を対象にした最大規模。無償。

それぞれのデータベースは「限界」を抱えますが、利用者はその目的によって公的機関の提供する無償のものに、それぞれ特徴を持つ商用データベースを組み合わせることが可能となり、利用の幅が大幅に広がったといえます。
また限られた予算の中では、最もコストパフォーマンスがいい組み合わせを検討することが必要になるでしょう。

ということではないだろうか?


6/18 Webcat、CiNiiおよびリンク頁の表示について。

セキュリティソフトが導入された環境などで正しく表示されない問題があったため外部リンクの表示を変更しました。
Mozilla Firefoxなどをお使いの場合は、外部リンクを開くときウィンドウで開くかタブで開くか、設定で直すことができますので、使いやすいように調整してください。

Webcatのリンクについて、手作業でURLを取得してリンクしていますが、作業の進行に限界があるためWebcatの検索結果の「簡略表示」画面を表示します。同名の雑誌が複数ある場合、ご自身で選択していただくことになります。このケースは詳細画面の「所蔵」欄に「WEBCATでの検索結果」と表示されます。同定したURLを取得してリンクを張るのが完了すると従来の表示になります。
また、検索結果をCiNiiで確認できます。CiNiiで「該当する文献は見つかりませんでした」と表示された場合は、このデータベースにあって、NDL⊂CiNii に無いデータになります。

ご意見、ご要望をお寄せください。


6/07 営業

今年から、積極的にデータベースのご案内に回る。
先週はある大都市圏の学校にお邪魔した。
いろいろお話していて、われわれのころとはずいぶん様変わりしているのに驚く。
何しろ校舎が立派だった。昔のことを言っても仕様がないが、小生の学校の理学部の校舎は南京下見の木造二階建てだった。そこでノーベル賞学者が講義していた。(僕は理学部じゃないけどね)

就職の世話も日常生活も手厚く面倒を見てくれるようだ。
当時、某先生は「私は体が弱いので、自由に使える時間は限られる。一所懸命勉強していい講義をするのが学生諸君への最大の貢献だと思っている。したがって、コンパのお付き合いも就職の世話も一切しない」と仰っていて、われわれも「良心的な態度」と納得していたものだった。

ところで、データベースはというと、某商用データベースがすっかり普及している。「これがあるからいらない」とさえいわれる。
某データベースの不十分なことを遺憾として開発したのになあ。