お知らせ
7/10 ということではないだろうか?
「日本語雑誌記事索引データベース地図」の変化について
日本語雑誌の記事索引については、国立国会図書館がそのスタートの時点である昭和23年からその作成を始め、日外アソシエーツを版元として出版してきました。
やがて国会図書館は、そのデータを、データベースとしてWEB上で無償提供を開始しましたが、日外アソシエーツは、そのデータに独自のデータを加えるなどして、「マガジンプラス」名で商用データベースとしてサービスを開始しました。国会図書館のデータに独自データを付加したところから、「国会図書館をしのぐ日本最大規模」のデータベースとして、他の追随を許さず独走態勢が十数年の長きにわたって続きました。
しかし、ここ一、二年の間に、「データベース地図」は大きく様変わりを見せました。
その兆しは、2002年に大宅文庫が「WEBOyabunko」としてその所蔵する雑誌記事のデータベースを公開したあたりから見え始めていました。しかし、この時点では、両者は「学術雑誌」と「一般誌・娯楽誌」と収録範囲の重複は無く、共存関係にあったので「データベース地図」の変化の始まりとは意識されませんでした。事実、二つのデータベースはともに仲良く、紀伊国屋書店を発売元として提供されていました。
2005年プランゲ文庫の雑誌記事索引が「占領期新聞・雑誌情報データベース」(20世紀メディア研究所)として完成しました。検索期間は占領下の数年間に過ぎませんが、データ数は約200万件となってこの期間に限定されるもののその密度はほぼ完璧で、敗戦直後から国会図書館の採録開始の1948年までを補完するものになっています。
2008年になって、国会図書館が採録しない、戦前期および地方誌を採録範囲とする「雑誌記事索引集成データベース」(皓星社)がサービスを開始しました。このデータベースは、国会図書館の採録範囲が、昭和23年以降であることを補完する意味で企画され十年近くの準備を経て完成したものです。
国立国会図書館は、敗戦で時代区分しそれ以前を価値が無いとして採録範囲からはずしたわけではなく、「雑誌記事索引」の採録範囲が戦後に限られるのは、たまたま、国会図書館のスタートが戦後間もない昭和23年だったからで、それ以前の遡及入力をしていないという理由に過ぎないわけです。
したがって雑誌記事のデータベースが戦後で十分とするのは何の根拠も無く、雑誌というメディアが登場した明治から現在までを検索範囲とするデータベースの登場は待望のものでした。(自画自賛)
ついで、2009年の4月にいたって、国立情報学研究所のデータベースである「CiNii」が、大幅なリーニューアルを経て公開されました。このデータベースは、Oyabunko、占領期新聞・雑誌情報データベースを除く、データベースがすべて、国立国会図書館のデータを取りこんでいるのと例外ではなく、国会図書館のデータをも取込みながら独自に学術雑誌を補完して、1200万件という最大のデータ件数を所持し今後も「膨張」を続けていくと予想されます。
このように、本年4月になって、日本語雑誌のデータベースは、それぞれ特徴を持ったいくつかのデータベースが出揃ったことになります。
1)雑誌記事索引(国立国会図書館)。*印のデータベースに取込まれている。無償。
2)マガジンプラス*(日外アソシエーツ)。戦後期を対象。老舗。
3)WEB Oyabunko(財団法人 大宅文庫)。一般誌・娯楽誌が対象。
4)占領期新聞・雑誌情報データベース(20世紀メディア研究所)。占領期。無償。
5)雑誌記事索引集成データベース*(皓星社)。戦前期、地方誌をも対象。
6)CiNii*(国立情報学研究所)。戦後期を対象にした最大規模。無償。
それぞれのデータベースは「限界」を抱えますが、利用者はその目的によって公的機関の提供する無償のものに、それぞれ特徴を持つ商用データベースを組み合わせることが可能となり、利用の幅が大幅に広がったといえます。
また限られた予算の中では、最もコストパフォーマンスがいい組み合わせを検討することが必要になるでしょう。
ということではないだろうか?
6/18 Webcat、CiNiiおよびリンク頁の表示について。
セキュリティソフトが導入された環境などで正しく表示されない問題があったため外部リンクの表示を変更しました。
Mozilla Firefoxなどをお使いの場合は、外部リンクを開くときウィンドウで開くかタブで開くか、設定で直すことができますので、使いやすいように調整してください。
Webcatのリンクについて、手作業でURLを取得してリンクしていますが、作業の進行に限界があるためWebcatの検索結果の「簡略表示」画面を表示します。同名の雑誌が複数ある場合、ご自身で選択していただくことになります。このケースは詳細画面の「所蔵」欄に「WEBCATでの検索結果」と表示されます。同定したURLを取得してリンクを張るのが完了すると従来の表示になります。
また、検索結果をCiNiiで確認できます。CiNiiで「該当する文献は見つかりませんでした」と表示された場合は、このデータベースにあって、NDL⊂CiNii に無いデータになります。
ご意見、ご要望をお寄せください。
6/07 営業
今年から、積極的にデータベースのご案内に回る。
先週はある大都市圏の学校にお邪魔した。
いろいろお話していて、われわれのころとはずいぶん様変わりしているのに驚く。
何しろ校舎が立派だった。昔のことを言っても仕様がないが、小生の学校の理学部の校舎は南京下見の木造二階建てだった。そこでノーベル賞学者が講義していた。(僕は理学部じゃないけどね)
就職の世話も日常生活も手厚く面倒を見てくれるようだ。
当時、某先生は「私は体が弱いので、自由に使える時間は限られる。一所懸命勉強していい講義をするのが学生諸君への最大の貢献だと思っている。したがって、コンパのお付き合いも就職の世話も一切しない」と仰っていて、われわれも「良心的な態度」と納得していたものだった。
ところで、データベースはというと、某商用データベースがすっかり普及している。「これがあるからいらない」とさえいわれる。
某データベースの不十分なことを遺憾として開発したのになあ。
4/23 1100万件。
本日、松山大学の伊藤先生ご提供の「外交時報」戦前総目次の搭載が完了。
同時に、搭載件数が1,100万件を突破しました。一応の区切りです。
4/17 「編集後記」「彙報」の重要性
多くの「目録」には、「当然」編集後記や彙報の類は採られていません。
しかし、それらが意外に重要な意味を持つことは、つとに指摘されることです。
「史蹟と古美術」という雑誌があります。その総目次についてWebcatでは、以下のように表示され「出版」されたかのようになっています。
史蹟と古美術 / 國史普及會史蹟踏査部 [編]<シセキ ト コビジュツ>. -- (AN00373923)
1巻1号 (昭3.8)-. -- 京都 : 國史普及會史蹟踏査部, 1928-
注記: 史蹟と古美術總目録及索引(自第一巻第一号至第廿巻第五号 昭和十三年六月刊)あり ; 奥付による編者表示: 國史普及會 [編輯]
著者標目: 国史普及会<コクシ フキュウカイ> ; 国史普及会史蹟踏査部<コクシ フキュウカイ シセキ トウサブ>
しかし、NDLOPACでも存在は確認できないし、独立した総目次ではなく巻末付録のようなものかとNDLの当該雑誌をチェックしたけれど見つかりません。『日本雑誌総目次要覧』にあたっても見当たらない。1-21巻の全巻そろいを持つ大学のOPACを検索してもヒットしない。
これは、Webcatの記述が何かの間違いかもしれないとあきらめかけたとき、「史蹟と古美術」の21巻1号の「編集後記」に◇本誌の百号記念たる総目録は六月中旬発送大歓迎を受けて居る◇とあるのを見つけた。
これで実際に出版されたことは確認されたので、さらに調査をすすめたところ、本誌そのものは虫食い所蔵だが大阪の中之島図書館一館が所蔵することを確認した。
目録やOPACばかりに頼っているとWebcatのほうが間違っているとおもって調査を終えてしまうところだった。
本当に「有効」なデータベースとしては、彙報や編集後記もきちんと採録し、表題から内容が推測できないこうしたものにこそ「抄録」が必要なのかもしれない。