雑誌記事索引集成データベース ざっさくプラス 総合雑誌から地方紙まで、明治から現在まで雑誌記事索引集成データベース ざっさくプラス 総合雑誌から地方紙まで、明治から現在まで

検索記事
総数
20世紀メディア情報DB連携時31,072,447
20世紀メディア情報DB非連携時29,107,550

お知らせ

8/15 無駄。

本日現在で、邦文雑誌の記事データベースである、CiNiiと本データベース、某商用データベースのデータ量を比べると、

CiNii          1234万件
本データベース   1127万件
某データベース   1080万件

である。見かけ上はなかなか壮観と言える。
しかし、この三者とも、NDLの「雑索」のデータ、895万件を取込んでいる。ということは、それぞれの正味は、

CiNii          339万件
本データベース   232万件
某データベース   185万件

ということになる。つまり、みんな「張子の虎」である。といえば、そうなのだが、NDLのデータが異常に多いのであって200万前後の独自データというのは決して少ない数ではないのである。
さらに、CiNiiと某DBはともに戦後が検索対象(CiNiiは一部戦前にさかのぼる)である。
CiNiiはもちろん、某DBも学協会誌や年報類を独自に補充してきたとしているので、この二つの間にも相当な重複があると思われる。(本DBの部分は、主として戦前と地方なので重複は少ない)
利用者は、それぞれのデータベースを引き比べるとき、組み合わせによって少ないもので7~8割、多ければ9割以上の同じデータを検索しなくてはならない。

利用者の立場に立てば、腹立たしいくらいばかばかしい。
課題である。

8/10 冷や汗。

嘉村礒多と嘉村磯多が同一人物であることは、NDLの処理や磯多という作家がほかにいないことから間違いないと思われるが、間違いやすい「菊池」と「菊地」をめぐっては冷や汗をかいた。
「菊池大麓」という人がいて、よく「菊地大麓」と誤記される。名前はかなりユニークでほかに例を見ない。結構、権威ある図書館でも間違いが少なくない。しかし、戦前戦後を一括して検索すると現存の人で「菊地大麓」という建築家がいることがわかった。
一括して修正するとえらいことになるところだった。

菊池大麓
生誕 1855年3月17日
死没 1917年8月19日
職業 数学者、政治家
菊池 大麓(きくち だいろく、安政2年1月29日(1855年3月17日) - 大正6年(1917年)8月19日)は、明治・大正期の数学者、政治家である。
ウィキペディア(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E6%B1%A0%E5%A4%A7%E9%BA%93

目録ならば、案外気がつかずにパスすることもあるが、DBとなるとこの一字の違いで引っかからない。〈菊池大麓=菊地大麓〉としておけばいいのだが、今度は、建築士の菊地大麓さんを巻き添えにしてしまう。


7/24 「暴力団」考。

何年か前、あるメーリングリストで、「暴力団」という言葉の初出についての質問がロンドン大学の司書の方からあった。

何でも、学生が日本の暴力団についてレポートを書いている。
日本の「暴力団」は、戦前からの香具師や博徒などのいわゆる伝統的やくざに、戦後生まれの愚連隊を総称して言うようになった言葉でその後「暴力団対策本部」「暴力団対策法」のように警察や法律用語にまでなったというのが、その学生の仮説のようだった。
それで、「暴力団」という言葉は、戦後のいつごろから使われるようになったのかという質問だった。

それで、当データベースで検索してみるとその当時でも、大正期に用例が見られた。あの『蟹工船』の中にも用例があるらしい。

それを、お知らせしたら大変喜ばれたが、学生は仮説がひっくり返るし、レポートの提出期限は一週間後ということで頭を抱えているということだった。

そのときは、「暴力団」ばかりに目がいって、「愚連隊」が戦後派であることは疑いもしなかったが、最近、検索してみて「愚連隊」も戦前からある用語であることを知った。

# 愚連隊の仙太
著者 北林透馬
刊行年月日 昭和10年3月
巻号 5-3
掲載 オール讀物

# 横浜愚連隊回想記
著者 安田樹四郎
刊行年月日 昭和14年8月
巻号 21―8
掲載 改造

筆者の北林透馬、安田樹四郎は横浜に関係が深いようなので、「愚連隊」は、横浜生まれの言葉かもしれない。

なお、ロンドン大学の学生の「仮説」とまったく同じ組み立ての記述が『警察白書』(平成元年)にある。
http://www.npa.go.jp/hakusyo/h01/h010101.html
『警察白書』によれば「愚連隊とは、終戦直後から繁華街等を中心に当てもなくうろつき、ゆすり・たかり、窃盗等の違法行為を行っていた不良青少年の集団をいい、これらの集団の中核は戦地から復員してきた若者たちであり、警察の実務用語では「青少年不良団」と呼ばれていた。金になるものなら何にでも手を出すという現在の暴力団の風潮の源は、この時期に発生した愚連隊の活動等に求められるであろう」という。

【追記】「Wikipedia」の愚連隊の記述も、戦後派説である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9A%E9%80%A3%E9%9A%8A

7/20 市川房江ってだれ?

当データベースを、著者「市川房枝」で検索すると、大正11年から623件ヒットする。
念のため「市川房江」で検索したら、1件ヒットした。

婦選運動をめぐる回顧を語る(座談会)
著者 市川房江
刊行年月日 1955年11月
巻号 3ノ11
掲載 婦人と年少者

これは、内容からも「市川房枝」に間違いないと思われるので後日確認してみようと思う。このデータの出典は「NDL雑誌記事索引」である。NDLの雑誌記事索引では、以下のように表示された。

雑誌記事索引 1-1(1件)
1. 婦選運動をめぐる回顧を語る(座談会) / 市川 房江 他
婦人と年少者. 3(11) [1955.11]

このデータは前述のとおりCiNiiにも取込まれているので、「房枝」と修正してしまうと、CiNiiと連携が取れなくなる。
どうしたらいいか。とりあえず「市川房江(市川房枝)」と応急処置をしておこう。(こうしておけば、市川房枝でもヒットする)

7/17 訂正の難しさ。

何でも正しければいいかというと・・・。

山口県出身で嘉村礒多という作家がいる。

山口県の図書館にお邪魔したとき、では「嘉村礒多」で検索してみろと、「勝負」を挑まれた。
結果どうも少ない。あわてて確認すると、「嘉村磯多」で検索していたのである。「礒多」でやり直すと相当数ヒットしたので胸をなでおろしたのであるが、しかしこれは、間違いの「磯多」というデータが少なからずあるということである。しかも、NDL提供分にも少なからずある。急いで修正した。

NDLのOPACで検索してみると「礒多」でも「磯多」でも同じだけヒットするのでデータは直さず、「磯多=礒多」で処理しているようだ。(ちなみに書籍にも「磯多」がある)

修正してから気がついたのであるが、こちらのデータを正しく修正してしまうと同じNDLデータを持つCiNiiにいけなくなる。そういえば、以前にもご指摘に基づいて、NDLデータを修正したことがある。
CiNiiでは、「磯多」は9件、「礒多」は、76件が別々に検索される。
ちなみに当データベースでは、213件。ただし重複がある。


【追伸】

「佐田岬の一本釣りと岬(ハナ)あじ・岬(ハナ)さばで全国展開する三崎の加工事業--愛知県三崎漁協の加工事業の現状」

という記事を、利用者の方のご指摘で「愛知県→愛媛県」にに訂正した。(「11/26 三崎漁港―愛知と愛媛」参照)
やはりCiNiiには、いけなくなっている。愛知県をスペースに置き換えると表示される。